2022年12月15日/あいリレー福祉事業グループ合同法要会(石岡研修道場晋山荘)
あいリレー福祉事業グループ追善供養
法話
今日は「あいリレー福祉事業グループ追善供養」を執り行いました。
人と人の関係、つながり。夫婦、親子、兄弟姉妹、親戚、友人、恩師、恋人、会社の同僚、町内の人等、例えあげたら人それぞれにいろいろな形があります。この人の関係とは、今、ここに生きているから、この娑婆世界において存在しているのです。
故・石原慎太郎氏は生前にズバッと「死んだら無(む)だ、何もない。」と言いきっておりました。まさに、物質的にみれば石原氏の云う通りかも知れません。
しかし、亡くなった方と何らかの形でつながりのあった人は、そう簡単に「無だ、何も無い。」とは思いきれません。
大切に育んでもらったこと、お互いに慈しみ一緒に笑ったこと泣いたこと、楽しかったこと、苦しかったこと悲しかったこと、喧嘩したこと、皆で一緒に努力したこと等、そのような色々な思い出が、たくさんたくさん心の中に浮かんでくると思います。
「亡くなった方はどこへ行くのですか。」と、聞かれることがあります。「天国」という言葉がよく使われますが、これはキリスト教系の言葉です。仏教系ではふつう「浄土」と言います。宗派によってそれぞれ違いはあります。
東方にある「瑠璃光(るりこう)浄土」、阿弥陀如来のいらっしゃる「西方浄土」、「大日如来を中心にした胎蔵(たいぞう)曼荼羅(まんだら)、金剛界(こんごうかい)曼荼羅(まんだら)の両界曼荼羅浄土」。
今日、追善供養でお勤めした法華経系では、お釈迦(おしゃか)様(さま)と多宝(たほう)如来(にょらい)が主宰(しゅさい)する「霊山(りょうぜん)浄土(じょうど)」です。
法華経とはお釈迦様が晩年に自らの意(こころ)に随って(したがって)ご自身の本心を説いた随(ずい)自意(じい)のお経です。つまり、法華経がお釈迦様であり、法華経を信じる人は常にお釈迦様と共に生きていると実感することができると言われております。
久遠(くおん)実(じつ)成(じょう)の釈迦牟(しゃかむ)尼仏(にぶつ)。「久遠実成の釈迦牟尼仏」とは、実はお釈迦様はご自身が生まれるずっと前から存在していて、そして亡くなった後もずっと生きていらっしゃるということです。
今日ここで追善供養された方々は、お釈迦様と一緒に浄土に生きていることになると思えます。つまり、亡くなられた方はここにいる皆様の心の中に生きていらっしゃるということなのです。
先程お話ししましたように皆様の心の中には、亡くなった方とのたくさんの思い出があることでしょう。それを思うそのこと自体が、亡くなった方が心の中で生きている、ということになるのだと思います。
これからいろいろな場面で亡くなられた方を思い出すことがあるでしょう。私たちが生きているこの娑婆世界が浄土なのだから、亡くなった方も一緒に存在することが出来ると思うことが供養なのです。
今日はありがとうございました。
令和四年十二月十五日
参加者255名